最高裁判所第二小法廷 昭和30年(オ)665号 判決 1956年2月17日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人三町恒久及び上告代理人弁護士佐々木正泰の上告理由は別紙のとおりである。
上告人上告理由の一及び上告代理人上告理由第一点、第二点について。
原判決が、わが国の裁判所は、特定の者の具体的な権利義務そのものの法律上の争訟についてのみ裁判権を有し、抽象的な法律命令等の合憲性について裁判権を有するものではない趣旨を判示したのに対し、論旨は、原判決は憲法八一条の解釈を誤つた違法があると主張するのである。
論旨は、憲法八一条の制定の経過及び当時の帝国議会における論議等に言及し最高裁判所の憲法裁判所的性格を主張するのであつて、わが国の学説中に所論のような解釈がないではないが、当裁判所大法廷は、昭和二七年一〇月八日言い渡した判決で所論のような解釈を採らない旨を判示しているのである(判例集六巻九号民七八三頁)。そして現在においてもこの解釈を変更すべき理由を認めることができない。論旨もいうように、権力分立の制度は絶対的のものではなく、立法機関たる国会の両院が議員の資格争訟を裁判し、議員からなる弾劾裁判所が裁判官の弾劾について裁判をすることは憲法に明文をもつて規定されているけれども、憲法八一条がこのような権力分立の例外を規定したものか、それとも、司法裁判所が裁判権を行使する場合の権限を規定したものであるか、解釈の分れるところであり、そして当裁判所が憲法八一条による法令のいわゆる違憲審査権は司法権の範囲内において行使されるものと解していること、右大法廷判決の判示するところである。論旨はこれと異る解釈を主張するのであつて、結局見解の相違というよりほかなく、到底これを採用することができない。
論旨はまた、原判決は下級裁判所に与えられた法律解釈権と最高裁判所に与えられた違憲審査権とを混同していると主張するのであるが、法律命令等の憲法適否審査権そのものについては最高裁判所と下級裁判所とで異ることがないことは、右大法廷判決の判示するとおりであり、論旨のこの点も理由がない。
上告人上告理由の二について。
論旨は、上告人は、被上告人長島壮行の世田谷区長選任の無効、同人が同区長でないことの確認を求めているのであつて、原判決のいうように抽象的に法令の無効のみを主張しているのではないというのである。しかし世田谷区長に長島壮行が選任されたことによつて上告人の具体的権利義務に影響のある場合にその権利義務について争うは格別、単なる右選任の当否は上告人個人の具体的権利義務には直接関係のないことであつて、かかる点について司法裁判所が裁判権を有しないことは、前記大法廷判決の趣旨にてらして明かである。論旨は理由がない。
上告代理人の上告理由第三点、第四点について。
論旨は、上告人は世田谷区民であり、憲法一五条及び九三条二項によつて区長を直接選挙する権利を有するにかかわらず、昭和二七年法律第三〇六号による地方自治法の改正のため右区長の選挙権を剥奪されたのであつて、上告人は本訴を提起し長島壮行の選任無効確認の判決を求め、よつて区長の選挙権を回復し憲法上の権利を行使しようとするものであり、単に法令について抽象的に憲法適否の判断を求めるものではないというのである。
しかしながら、上告人の本訴提起の動機が所論のとおりであつても、上告人の本訴請求が、地方自治法中の規定の無効確認を求め、世田谷区議会に世田谷区長を選任する権限のないことの確認を求め、さらに長島壮行の世田谷区長選任及び就任の無効確認を求めるものであることにはかわりはなく、このような請求が上告人の具体的権利に直接関係がないことは前段説明のとおりである(またかりに、上告人の請求を認容した判決がなされたとしても、その判決の結果として直ちに上告人が区長選挙権を行使できるものでないことは説明をするまでもないことである。)。論旨は到底採用することができない。
上告代理人上告理由第五点について。
論旨は原判決は争点について判断をしなかつた違法があるというのであるが、前述のように本訴について裁判権がない以上右の判断を加えなかつたのは当然である。
以上説明のとおり論旨はすべて理由がないから本件上告はこれを棄却することとし、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い裁判官全員一致で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 池田克)